愛と無関心

先日 地元の後輩と話していた時に
「あのうるさい車とかやらないの?」と聞かれたので
「やらないよ~」と答えたら
「え?あれってやらなくてもいいんだ やらないといけないのかと思ってた」
と言われました
その話の流れで 選挙に対して使われる税金とその仕組みを説明したら
「あんなうるさくて迷惑なものに 私の税金が使われてるの?
自分の税金で騒音公害を聞かされてるっていうこと?」と怒ってしまいました
政治は身近ではない 知らないということは そういうことなんです
例えば最近よく取り上げられている動物愛護について
昔は今と比べ物にならないほどの税金を使って すごい数の命を殺していました
ごく一部の人間だけがかかわる動物のために その他関係ない人たちの税金まで使ってです

実は昨年都議会において 今まで誰も踏み込んだ質疑をしたことがなかった中で
都議会で初めて質疑をしてくれた都議さんがいらっしゃいます
私は30年近く 海外のドッグショーとシリアスブリーディングや
それに並行して保護犬のレスキュー活動をして動物にかかわっており
昨今のペットブームの流れや 欧米の動物愛護事情にも熟知していたため
たまたま質疑の原稿を作るお手伝いをさせていただきました
彼には本当に心から感謝していますが 世の中でこれだけ騒がれていても
議会ではとりあげようとする人すら 今までほとんどいなかったのです
世の中がどうにかしようと思って 関心を持ち始めていても
政治の世界では市民が知らないところで 驚くほどの温度差や仕組みがあって
後輩が怒りをぶつけた 選挙期間中の街宣車のように
市民は知らないまま 色んな事が決められ生活の中に反映されています

どうして自分の税金が自分と関係ないものに使われているのに人々は怒らないのだろうか?
幼いころからずっと不思議でした
人間のためにこれだけ予算が足りない社会情勢の中で 犬猫に関していえば
きちんとした管理と法整備がなされていれば 避けられることなのです
ムダ以外のなにものでもない税金の使い方に 怒りをぶつける以前に
現状を知らない 知らないから怒りすら抱くこともないのです
知らないということは 結局自分につけが回ってくるけれど
私たちの多くは つけにも気づかないまま生活しています

愛の反対は無関心といいます
無関心であることはこんなにも 冷たく虚しく惨く 私たちの生活をむしばんでいる
その事実をひとりでも多くの市民に明らかにして 関心を持ってもらえるように
私がかけ橋になれたらと思っています