みずからの

「みつから」 は, み (身) + つ (助詞) + から (柄) の構成。
この場合の 「身」 は自分。「つ」 は現代語の 「~の」 に相当する助詞で,
「まつげ」 が 〈目 (ま) の毛〉 であるのと同じように 〈身の柄〉 ということ。
「柄」 は, 〈それ自体〉 とか 〈本質〉 というような意味。
だそうです 語源って興味深いですね

自分が思い立って 自発的にすすんで行動すること
ボランティアの本来の意味です
私がお願いをしないのは 先日の「人として」に書いた以外にも
お願いをして何かをしてもらうことは
ボランティア(みずからのもの)ではないと思っているからです
お手伝いをお願いする 応援をお願いする
お願いをしている時点で すでに自らの行動ではない
そこにはお願いした側とされた側の関係ができます
無料で奉仕することがボランティアと理解されているようですが
本当にそれをボランティアというのか?
私はそうは思っていない ということです

これは私が生まれ育った環境が大きく影響しているのかもしれません
誰に頼まれるでもなく 両親共に自らの意志で
世にいうボランティア活動をずっとしている姿を見ていました
おそらく家が一軒建つほどの私財をつぎこみ
パラリンピック選手のための競技協会を立ち上げ運営していることは
誰かに頼まれていたら あそこまでできないと感じています

自ら望んで行うものであれば そこにはこころがあります
その動機には「してあげたい」と言う気持ちが存在するのです
それがすべての原動力につながるからこそ すすんでできるのです
ではお願いされたら 無料で何かを頼まれたら
そこにしてあげたいという気持ちよりも
頼まれたからやってあげようという気持ちが生まれるでしょう
やりたいではなく やってあげている
本人は無意識でも 脳はそう意識して行動をします

私はそんな気持ちで ボランティアをしてもらいたいとはまったく思わないし
プラスの感情以外のものが混ざると お互いに気持ちよくいられないので
お願いしてまでお手伝いや応援のボランティアをしてもらいたいと思いません
そんなキレイごと言っていたらしょうがない と言われたとしても
いつの日かその小さな 些細なことが大きくなっていくことを知っています
それを40年以上のボランティア活動の中で知り得ているので

生まれ育った環境は 選べないと言われますが
今こうして地域の皆さまと活動をしている自分があること
生まれるべくして ここに生まれてきたと感じるとともに
両親には尊敬と感謝の気持ちしかありません