たとえ話

このところ書いてきたことをふり返ってみます
人それぞれあたり前や常識 価値観はちがう
それは変えようがないもので 認め受け入れるほかにない
生き方を見つめなおし 真の自由に気づけると
自分の外でおきていることに ふり回されない自分になれる
するとどんな人や物事でも受け入れられるようになり 共存の道がひらける
よってだれもが気持ちよく生きられる社会になる
ちょっと長くなりましたが こんな感じでした

これまでお伝えしたことの たとえ話をいくつかしてみます

真の自由を知っている人は なぜもっと自由になりたい!と叫ばないのか
お風呂のお湯につかっている人が
「あったかい湯船につかりたいなぁ」とは言いません
なぜならもうすでにお湯に入っているからです
ご飯を食べている人が「ご飯食べたい」と言わない
女の人が実は女になりたいと思わない どれも同じです
自由を手に入れている人は自由になりたいと言いません
なぜなら もうその状態だからなのです

次に 価値観や常識は人それぞれで 色んな人がいる
それを認めて受け入れ 共存はできるのだと体感したお話しです
私が大学4年生になった時 所属したゼミの教授に
「ひろたさんは犬を飼っていますよね 学校に来ている時
わんちゃんたちはお留守番ですか?それはかわいそうだ 連れてきたらどうですか」
そんな言葉をかけていただきました
おそらくそんなこと言われたら 何を言い出すのか?と驚くところかもしれませんね
私自身 育てられた環境や両親の影響も大きかったのか
あまり固定概念にとらわれない生き方をしてきていたため
せっかくのお声がけ 素直にありがたくお受けすることにし
毎日ボルゾイという大きな犬たちを車に乗せて通学していました
母校の学生はとても賢くて 若いのに自立している人が多く
自分は自分 他の人がどうであれ我関せず 校内はもとより
廊下を犬と歩いていても 良くも悪くも誰一人反応する人がいませんでした
一度も「かわいいですね さわらせて下さい」と声をかけられることすらなく
犬がいることで顔色が変わることもありませんでした
唯一言われた事といえば 隣の学科の教授が犬たちを見て
「良いですね 私もかつてこの校内でボルゾイを飼っていましたよ 毎日連れてきなさい」でした
迷惑をかけなければ 誰も文句は言わないというのが
この経験により 私の中で確かなものになっていったように思います

自由には責任がともなう それを守れば
様々な価値観を持ちよっても 共存する道はあるのだと気づかされた
私にとってはかけがえのない経験と思い出です