あらためる

私の両親は共働きでした
妹と少し年が離れていた長女の私は 両親の職場によく連れられていきました
職場での両親をもの心つく前から目にしてきて感じたことは
親が真剣なら 子どももそれをくみ取り 空気をよめるんだということ

子どもにとって親がすべてである時期に 親が自分を置いて仕事に行かず
自分を選んでくれて一緒にけるという喜びはとても大きなものでした
自分より仕事が大切なわけではないのだ 自分も大切に思ってくれているのだ
そうやって仕事にまで行く その親が働いている姿を見ると
まだ幼い自分もちゃんとしないと! と大人のまねをしていたのを思い出します
そのおかげか 背伸びした私は年の近い子がよく駄々をこねて泣きわめく姿を見て
どうしてあんなことになっちゃうのか あんなことができるのかが不思議でした

50年近く前のことですから 今と違い昔はおおらかだったのでしょうか
東京都の施設や大学などの教育機関 時に他の講演先企業であったり役所など
連れられて行った先は様々でしたが どこに行っても親が私を同伴することで
何か言われたり気まずい雰囲気になることがありませんでした
その時期の子供というのは世界の中心が親でまわっていますから
どんなことよりも親の波動や感情 とりまく空気感を感じる能力にたけています
ですから私がいることで親がせめらる あるいはまわりが親を扱う空気は
全身全霊で 肌で目で耳で使えるもの全てで観察し 感じ取っていました
子供の同伴に対する過剰な反応はなく むしろ何も感じなかった
お子様連れなんですね~という明るい声も 子どももご一緒なんですか?という暗い声も
プラスもマイナスもないフラットな空気が流れていたのを覚えています

なにかと忙しく世知辛い 今の社会の中では
かつての私の両親のように 子どもを連れて仕事に行くことが
普通の生活の中の一部として受け入れられていないのが現状で
これだけ時代が進んでいるのに 私には逆行しているように見えています

自分を取り巻く生活環境を変えたい 少なくともそう思っている人が多いので
働き方改革などというフレーズが飛び交っているのでしょう
では働き方を変えることで何が変わるのでしょうか?
働き方を変える人のまわりの人の仕事が変わり そこが変われば会社としての仕事も変わり
そこが変われば世の中のシステムが変わり・・・と連鎖していきます
そうなるとその変化を受け止める側がいることに気が付きます
最終的にその社会で生活している自分が受け止める側になることに気づかなくてはなりません

「介護中の親が体調崩しちょっと出勤が遅くなります」
「はい じゃ終わり次第来てください」
・・・「恐れ入ります その担当者はまだ来れないのでしばらくお待ちください」
せっかく仕事を切り上げてきてるのに ここでそんな目に?!みたいな

簡単に言うと私たちは こんなことを末端で受け入れなくてはならなくなりますし
職場の他の人たちも その現実を受け入れなくてはならなくなります
生活のリズムやものごとのとらえ方 私たちの生きる上での感覚や価値観
それらを変えていかない限り そんなことは受け入れられるはずがありませんよね
まずはひとりひとりの生き方改革ができなければ
働き方を変えたところで より生きづらい社会になってしまうのです
生き方改革なしで働き方を変える今の流行り 働き方「だけ」改革のまま進めれば
これからの社会はより一層 ギスギスしたものになるのが目に見えています

自分の働き方を変えたいと 会社や行政にだけ求める前に
生きることは何か 豊かさとは何か
まずは自分の生き方をあらためて見つめなおし 自分から変えること
どうしたらそれを世の中に伝えられるのかと 日々考えています